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2016年 変り種神社第7弾 八幡市・飛行神社ツーリング

11月2日 一番の冷え込みの中、雲一つない絶好のバイク日和。どこへ行くか模索中に京都八幡市に飛行神社という面白そうな神社を見つけ行ってみる事に。前回の飛燕に続きなぜか飛行機関連が続く。

名神高速ならびゅーんと大山崎ICまですぐなのでPM1時と遅い時間に出発。大山崎でおりすぐにメジャーな石清水八幡宮があるが今回はパスしその近くにある飛行神社へ。

40分ぐらいで到着

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家々の間にひっそりと佇んでいて通り過ぎてしまうくらい目立たない場所にある。

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鳥居はジュラルミン製との事だがあいにくこの日は何かの工事でメインの入り口がトラックで塞がれていてちょっと残念。

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バイクは地下駐車場に無料で駐車可能。

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最初にジェット戦闘機F104のエンジンが神様のように展示されてる

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神社と言うよりはちょっと大きな民家の一部のような感じの神社である。

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ギリシャのパルテノン神殿風な拝殿。その奥に本殿がある。

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本殿は3つの社殿があり中央が磐船神社、右が航空殉職者をお祀りする祖霊社、左は製薬業界の方々を御祭神としてお祀りする薬光神社。 この3つの社殿の意味は後でわかった。

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境内には先のジェットエンジン以外に昭和58年に大阪湾で漁網にかかり引き揚げられたゼロ戦のエンジンが展示してある。

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民家風な建物は資料館になっていて入館料300円払って入ってみるが、残念ながら内部は撮影禁止。

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入館時にもらった資料と内部の展示物よりこの飛行神社の概要がようやく分かった。1866年に愛媛県八幡市に生まれた二宮忠八がカラスをみてカラス型ゴム動力飛行器を作成しその後飛行器研究に没頭。

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1893年には人が乗れる玉虫型飛行器の設計まで完成。日清戦争で徴兵されるが当時の軍の上層部に飛行器の研究開発の上申するも却下。

自費開発を決意し軍を除隊、資金集めのため大阪製薬に入社し良質な薬を製造し会社の発展に尽力。

1900年 飛行器開発に資金もととのったところで京都の八幡で研究し始めた3年後の1903年にアメリカのライト兄弟による飛行成功の情報を知り無念のあまり研究・制作を断念したとの事。

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その後 忠八は飛行機事故での犠牲者が多く見受けられるようになったため私財を投じて1915年自宅内に飛行神社を創建し自ら神主となり航空安全を祈願した。

本殿横にはパイロットやキャビンアテンダントの安全祈願の絵馬がたくさん飾られていて、唯一無二の神社の存在をうかがえる。また航空関係者の多くがここのお守りをもってるそうだ。

入館時にいただいた資料の中に航空安全のお札が入っていて、私自身飛行機による出張が増えてるので本当に有難い。

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冒頭で変り種神社と表記したが、二宮忠八翁が創建した唯一無二である立派な神社で、しかも日清戦争時代に二宮忠八の飛行器に先見性をもったまともな幹部がいたら歴史は大きく変わっていたに違いないと残念に思うツーリングであった。


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コメント 2

tai-yama

航空機は第一次世界大戦(1914-18)で大活躍をしましたし・・多分、その
影響で設立したのかもしれませんね。"合格祈願" はちょっと違うのでは
と思ったり。
by tai-yama (2016-11-03 23:17) 

tomi_tomi

tai-yamaさん

そうです安全祈願ですねー。
by tomi_tomi (2016-11-03 23:45) 

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